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劇場版 ガールズ&パンツァー
劇場版ガールズ&パンツァー、最高でしたね(感想終了。


今回は劇場版の勢いそのまま3連休を利用して大洗訪問してきたことを受け、「ガールズ&パンツァー」と言う作品が如何に「聖地巡礼」と相性が良いか考えてみたい。
キーワードは「学園艦」だ。


○1.現実に存在する土地を舞台としている事

まず大前提。
この作品は実在の茨城県は大洗町を舞台としており、作中の町中再現は見事の一言である。
専用ガイド誌(るるぶ ガールズ&パンツァー)が作られ、その中で作中の場面と実在の場所を対比するページが組まれるほど
気合の入った再現ぶりをしている
(と言うか、完全にそのまま背景として使っている)

いかな名作とは言えモデルとなった場所が存在しない事には聖地もクソも無く、その点で地名から町並みまでそっくりそのまま再現された当作は非常に巡礼しやすいだろう。
どこを歩いてもガールズ&パンツァーだ。*1


○2.キャラクターの生活圏は訪問出来ない事

ここからが本題。
聖地巡礼時の最大の壁、「フィクションのキャラクター不在」問題である。

フィクションなのだから不在で当然、それは勿論その通りだ。
しかし、聖地を訪れキャラクターが生活している筈の場所で一度不在を確認した瞬間、その作品の世界は今いる現実とは異なるパラレルワールドに位置付けられてしまう。*2


そこを逆手にとって、絶対に訪れる事が出来ない場所に拠点を置くことで、不在を観測できない故の重ね合わせ状態を保つことができる。
「ハリー・ポッター」シリーズを考えてみてほしい。大まかな舞台はイングランド地方だが、核となる魔法学校は「9と3/4番線」のホームからのみ辿り着く事が出来る事になっている。
大枠としての舞台は設定しつつ、最もクリティカルな場所だけは手の届かない所に置くことで、作品の世界観をこの現実の延長線上に残すことが可能になるのだ。


上記の「聖地で霊的体験が出来ない」場合のフォローは実際の宗教でも行われている。

例えばお寺に参拝した際、実際に仏と出会う体験をした方は居らっしゃらない事だろう。*3
しかし、「聖地に仏陀に出会うことは出来なかった=この現実に仏は居ない!」と考えられては商売にならない。
そこで「56億年後に再来する」「最後の審判の日に復活する」等、現実の延長上に霊的存在を信じる為の説明を加えているのだ。


「ガールズ&パンツァー」では同様に、実在の大洗を舞台としつつキャラクターの生活圏は洋上の学園艦に隔離して遠ざける事でこれを実現した。
 「聖地に来たけど西住みほが居なかった」に対し「学園艦に住んでいるから街中では見かけないんですよ」のアンサーが可能になったのだ。

設定の段階ですでに神の不在に対する回答を得ている当作が、如何に聖地巡礼と好相性かご理解いただけただろうか。




○3.キャラクターにアクセスできる余地が残されている事

そして最後のポイントがこれだ。
生活圏を「学園艦」と言う移動する施設に設定したことで、ごく一部の人間はこれにアクセスできる権利が与えられる事となった。
言うまでも無く、地元大洗の人々だ。

再度上の「ハリー・ポッター」を例に取る。
「9と3/4番線」設定によって手は届かないが現実と地続きとなった魔法世界だが、それは我々人間界とは隔絶されている。
魔法世界を知りつつ一般人に知識を漏らす魔法使いは居てはいけない。
こちら側に作品世界の声を伝える権利を持った人間は居ないのだ。


「ガールズ&パンツァー」はそれを可能にした。
劇中で学園と交流している彼らは、自然に我々とキャラクターとの間に立ち、彼女らの言葉を伝えられる存在になった。

キャラクターの生活圏を我々から引き離し、かつごく一部の人間のみが交流できる「学園艦」と言う設定により、
不可視の世界と我々の橋渡し役と言う、一般的な宗教における「神主」「牧師」的存在を生み出すことができたのだ。



○最後に

上記のように一部の人間のみアクセス出来る霊的存在の住まう場所と考えれば、学園艦はまさに海上の楽園、常世の国ニライカナイその物なのではないだろうか。

聖地大洗をニライカナイ信仰が生きる土地だと考えれば、作中の不可解な場面も納得がいく。
本編をご覧になった方ならお分かりかと思うが、大洗の町は戦車道の試合でボッコボコに壊されている。劇場版でも派手に壊された。
しかし住居の旅館を全壊させられた住人たちの会話は次のとおりである。

主人「やったぜ!!」
隣人「いいなぁ、お前のところばっかり」

完全にイカれている。いくら登場人物が全員島田フミカネ原案の美少女ぞろいとは言え、住居を破壊されて喜んでいる彼らの精神状態には恐怖すら覚える。
しかし、学園艦=神の国信仰を下敷きにすると疑問は無くなる。

即ち、戦車道の試合とは神遊びの一種なのである。

圧倒的暴力装置である戦車による町並みの破壊は神の荒ぶる側面、戦車同協会からの補助金と言う恵みは神の和やかな側面。
神は一面的でなく、破壊と再生のダイナミズムを備えた多面的な存在であることを彼らは熟知しているのだ。


また、お土産屋を見れば街で作られたバスタオル等の備品が並んでいることがよく分かる。*4
これらを学園艦に納め対価を受け取っていると考えれば、これは常世の国からの客人をもてなして褒美を得る客人歓待譚そのものと言えるだろう。



以上のことから、大洗は「聖地=アニメの舞台」の枠を超え「聖地=信仰の息づく土地」とすら言える。
我々が大洗を訪れた際にする体験はもはや舞台探訪のレベルに留まらず、現地のシャーマンを訪ね不可視の神の声を聴く宗教体験とまで言えるのでは無いだろうか。
まさに「聖地」と呼ばれる土地そのものであり、ファンによる聖地巡礼が盛んになるのも頷けるのである。





*1 商店街中至る所に公式、手作りのポップが並んでいる。
*2 横須賀に鎮守府は無かったので、どうやら艦隊これくしょんはフィクションらしい。
*3 居たら病院である。
*4 「艦内使用専用バスタオル(艦外持ち出し禁止)」等のアイデアはファンの心理を怖いほど突いていて怖い。
   KADAKAWAは企画者を早く囲った方がいいと思う。
  と言うかタオル関連は全体的にデザインが良い。
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